2006.09.16 Saturday
吉村昭『長英逃亡』〜幕末の蘭学者高野長英の壮絶な半生!
吉村昭の『長英逃亡』を読みました。私は歴史、特に幕末は好きなのですが、高野長英は、いわゆる幕末の志士、坂本龍馬などよりも少し前の時代に活躍した蘭学者です。
蛮社の獄という、異国船打ち払いという幕府の政策に反対したという人ということで歴史の教科書にも出ていたと思いますが、比較的印象も薄く、知らない人の方が多い気もします。私も、島津斉彬と多少接触があったことくらいしか知らなかったのですが、高野長英の生涯は、かなり劇的でビックリしました。吉村昭の『長英逃亡』はいわゆる大河小説(一生全部描く)では無く、高野長英
が蛮社の獄で投獄されたあたりから始まるのですが、この人何と脱獄しております。(『長英逃亡』のネタバレ感想は、以下に続きます)
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蛮社の獄という、異国船打ち払いという幕府の政策に反対したという人ということで歴史の教科書にも出ていたと思いますが、比較的印象も薄く、知らない人の方が多い気もします。私も、島津斉彬と多少接触があったことくらいしか知らなかったのですが、高野長英の生涯は、かなり劇的でビックリしました。吉村昭の『長英逃亡』はいわゆる大河小説(一生全部描く)では無く、高野長英
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高野長英は、優れた蘭学者であり、シーボルトの鳴滝塾の塾頭だったといいますが、そのオランダ語の能力、語学力には当時ピカ一だったようです。というよりも、語学に関してはとにかく天才で、並ぶものも無く、当時鎖国だった日本では、海外事情に通じた数少ない知識階級の一人だったようです。
そんな高野長英
は、渡辺華山らと尚歯会なるサロンをつくり、海外情勢や日本の危機について憂えいているわけですが、守旧派の幕府の要人たちとの対立は深まっていくわけです。
時の権力者は水野忠邦という大物ですが、この水野の腰巾着というか、化け物のような権力志向主義者、蘭学排斥者に目をつけられるわけです。その人こそ、何と「妖怪」の語源になった鳥居耀蔵というもう本当に悪名高い人で、鳥居は甲斐守が官位だったので、耀蔵甲斐守の短縮が「ようかい」となったという説があるくらいでした。
小説『長英逃亡』では、水野や鳥居耀蔵は説明程度にしか登場しませんが、この辺のキャラクターも生き生きと描けば、高野長英で大河ドラマつくれるのではないかとすら思えます。
高野長英
は、いまの幕府の武力では、イギリスなどの異国船を打ち払うなんて無理だと「夢物語」という著書を記すのですが、これが原因で鳥居に投獄されてしまうわけです。
吉村昭の小説ですが、実に細かく史実が調べられており、高野長英
の半生はもとより、当時の牢獄の様子などは凄く読みごたえがあります。
江戸時代の牢獄の環境は、それはもう劣悪極まりないもので、平成の刑務所などほとんど天国のように思えるほどです。大部屋に何人もすし詰めに詰められて、新参者は畳一枚に2,3人などというのは当たり前です。
牢屋の中でも、封建主義の身分制度は生きており、牢名主や役付きの幹部など、それはもうピラミッド式の階級社会になっております。牢名主などの待遇は良く、畳一枚に2,3人ということも無いですし、新しく入って来た囚人から「命の蔓」という賄賂をもらい、牢名主を何年も続けていれば一財産築けるくらいです。新人がもし、「命の蔓」を持って来なかったら、もう先輩からボコボコにされるわけです。命の蔓を渡しても、新入りはボコボコに殴られるのですが、お金の多寡で、殴られる量が減ったりはします。
江戸時代の牢獄は、基本的に囚人を生かしておくという考えは無く、別に無理に殺しはしませんが、死んでも構わないという考えなので、囚人同士のリンチや牢内の劣悪な環境で獄死する人も多いわけです。
そんな中、そう若くも無く、エリートだった高野長英がよく生き残ったものだと思いますが、高野長英
は生き残っただけではなく何と牢名主にまで昇り詰めております。
これは、偉大な蘭学者高野長英の人徳というのもありますが、長英は蘭学者でもあり医者でもあったので、牢内の囚人を治療してやったり、疫病の予防を教えてやったりいろいろと役に立つ存在でもあったわけです。
だからといって、高野長英
が、いわゆる吉田松陰のような聖人君子かといったらそうでも無いわけで、若い頃は自分の蘭学の知識を鼻にかけ、結構嫌味な奴で敵も多かったようです。長英は牢内でそんな自分を反省して、牢名主になった今、囚人たちの面倒を見たり、お金を与えてやったりします。
元来、高野長英
は投獄されるようなことはしていませんし、現代の評価を考えても、むしろ先見の明のある偉大な蘭学者であるわけです。高野長英に同情的な勢力も多く、減刑運動なども起こるのですが、妖怪・鳥居耀蔵が頑として権力の座に居座っている限り、長英が釈放される目は無いわけです。
水野忠邦の失脚というニュースに長英は、ひょっとしたら釈放されるのではないかという希望も持ちますが、水野はこのあと一時的に老中主席に返り咲きを果たしてしまいます。
これに高野長英
は絶望するのですが、このあと長英がとった行動は凄まじく、致命的なわけです。
高野長英は、何と脱獄するために、自分を慕っている牢外の小者に命じて、放火をさせるわけです。
牢屋が火事になった場合、切り放しという温情的措置が取られます。牢内の囚人を一時的に娑婆に切り放し、一定の期間に戻ってくれば罪一等を免じるという江戸時代の制度です。これを利用して、高野長英
は脱獄を試みるわけです。
江戸時代の刑罰はそれはもう秋霜烈日で、聞いただけでも氷つくほど残忍なものも多いのですが、火付けは最も重く、市中引き回しは当たり前、火付けの張本人は火刑、つまりは焼き殺されるわけです。火付けを命じた長英も同罪です。しかも、長英は火付けに加えて切り放しで、戻らなかった罪もありますので、それだけでも死刑で、もうどうしようもないほどに、天下の大罪人になってしまうわけです。
その後の、高野長英の逃避行ですが、実にいろいろな人が長英を助けてくれます。これは多少傲慢だったとはいえ、やはり偉大な蘭学者ですし、先見の明もある高野長英
を何とか助けたいという人情であります。長英は、江戸から上州、越後、米沢など日本全国を逃げたり、母親に会いに行ったりするわけですが、当時の警察というか与力・同心・岡っ引きの捜査力はものすごく、それはもう白氷を踏むような綱渡りなわけです。
高野長英
は、単なる脱獄・火付けというだけではなく、政治犯的要素もあり、鳥居耀蔵はじめ幕府が威信をかけて、全勢力を傾けて追っているのはスゴイわけです。日本全国に高野長英の人相書が行き渡り、更には長英の立ち寄りそうな蘭学者仲間など家には全て見張りが付けられたり、場合によっては家捜しまでされています。
長英捜査の為に、北海道への船が止められ、商人たちが難儀したなどという、それはもう大事件に発展しているわけです。そんな中、高野長英
は多くの支援者に助けられ逃げ続けて行くわけですが、長英を匿ったために番所に連行されボコボコにされた人もいますし、火つけの実行犯は捕まって火刑に処されたりしているわけです。
高野長英
は優れた蘭学者ですが、やはり多少傲慢なところはあり、それは長英自身もよく分かっていた気はします。もう少し、牢屋で大人しくしていれば時勢的にも多分釈放され、逃亡者になることは無かったでしょう。
何と、長英が脱獄した直後、あの怨敵・妖怪鳥居耀蔵は失脚しているわけです。鳥居の失脚の経緯もなかなか凄まじく、鳥居は自分の上司である水野忠邦を裏切って反対勢力について生き残っているほどの節操も何も無い、権力の化け物なわけです。鳥居にとって不幸だったのは、この水野が一時的に返り咲き、当然水野は鳥居を失脚させるという何ともおぞましい話なわけです。
このときの、長英の悔恨は可哀相でした。高野長英
は、決して悪い人では無く、自分のせいで火刑に処された小者についても悔やんではいますが、やはり火付け・脱獄というのはやり過ぎなわけです。幸い、この火付けで死人は出てないようですが、それはあくまで結果的にそうだっただけとも言えます。
かといって、元々何ら悪いこともしていないのに、獄死前提の牢屋に投獄された高野長英
の気持ちを考えると、火付けは悪いですが、同情の余地は十分ある気もします。長英は自分に課せられた使命は、洋書の翻訳、特に今の日本に必要な軍事に関するものを訳して、日本の国防に役立てるしかないと心に決めるわけです。
このあと、高野長英
は、薩摩の島津斉彬や宇和島の伊達宗城などの海外知識を欲しがっている名君からアプローチを受け、宇和島藩に招かれて、砲台設置に協力したりもしています。兵書を翻訳して、島津斉彬や伊達宗城に献上したりもして、自分の使命を果たしていくわけです。
宇和島藩に匿われて一安心と思っていたのですが、そこは天下の大罪人、幕府の隠密がかぎつけ、宇和島を追われることになるわけです。
そして、お金にも困窮した高野長英
は、重大な決断をします。
なんと、医者を開業して家族を養うため、高野長英は自ら薬品で、自分の顔を焼くわけです。
これは衝撃的でした。そこまでしないと生きていけないというのは、人生とは凄まじいものですが、高野長英の場合、火付けの因果応報がここに来ているような気がしてゾッとするわけです。
そして、顔を変えた高野長英
は、名前も沢三伯と変え、しばらくは町医者として生活していくわけですが、思わぬところから正体が露顕するわけです。
それは、高野長英が翻訳した「三兵答古知機(さんぺいたくちいき)」などの兵書の翻訳があまりに優れていることから蘭学者の間で、これを訳したのは誰かという噂が立つことから始まります。
当時、蘭学はほとんど医学に使われており、ほとんどの蘭学者は兵書などに興味もありませんし、翻訳する能力も無かったわけです。そういう意味では高野長英
は、唯一無二の軍事洋書を正確に翻訳できる貴重な存在であったわけです。薩摩や宇和島の殿様が争って長英を欲しがる気持ちも分かります。
当時、高野長英
の所在が全くつかめず、年月も経っており、ロシアに行ったのでは無いかとか、あるいは死亡したと思われており、そのため長英も妻子と江戸で暮らすなどという離れ業も出来たのですが、まさか「三兵答古知機」から、その類稀の無い蘭学翻訳の技術から正体が露顕してしまうとは、このときばかりは鳥肌が立ちました。
そして、当時の警察機関が高野長英
の大捕り物を決断するわけですが、時の町奉行が遠山の金さんなわけです。
長英の最期は、自決したとも十手で殴り殺されたとも言われておりますが、遺体は塩漬けにされ、首を刎ねられたそうです。金さんは、一応本来火刑にするところを罪一等を減じて首を刎ねるだけにしたそうですが、死体をどうこうするという感覚は現代ではよく分かりません。
吉村昭さんの小説「長英逃亡」ですが、私が持っている全集では600ページ以上と読み応えがあり、史実も実に詳しく調べられており、当時の史料なども引用され勉強にはなります。
ただ、司馬さんのような諧謔的な要素は少ないですし、地名も細かく、登場人物も多過ぎて多少退屈に感じる場面もありました。ただ、高野長英
についてここまで詳しく書かれている小説は他にはあまり無いと思いますし、その劇的な半生は格段に脚色しなくても十二分に波瀾万丈なストーリーになる気はします。
高野長英
は、あと少し牢屋で大人しくしていれば、立派な蘭学者として当時から讃えられ、惨めな逃亡生活も、こんな非業な死を遂げることも無かったことを思うと、何とも言えません。一番悪いのは鳥居耀蔵のような気もしますが、この人も晩年は丸亀藩に幽閉されて、それなりの罰は受けている気はします。
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そんな高野長英
時の権力者は水野忠邦という大物ですが、この水野の腰巾着というか、化け物のような権力志向主義者、蘭学排斥者に目をつけられるわけです。その人こそ、何と「妖怪」の語源になった鳥居耀蔵というもう本当に悪名高い人で、鳥居は甲斐守が官位だったので、耀蔵甲斐守の短縮が「ようかい」となったという説があるくらいでした。
小説『長英逃亡』では、水野や鳥居耀蔵は説明程度にしか登場しませんが、この辺のキャラクターも生き生きと描けば、高野長英で大河ドラマつくれるのではないかとすら思えます。
高野長英
吉村昭の小説ですが、実に細かく史実が調べられており、高野長英
江戸時代の牢獄の環境は、それはもう劣悪極まりないもので、平成の刑務所などほとんど天国のように思えるほどです。大部屋に何人もすし詰めに詰められて、新参者は畳一枚に2,3人などというのは当たり前です。
牢屋の中でも、封建主義の身分制度は生きており、牢名主や役付きの幹部など、それはもうピラミッド式の階級社会になっております。牢名主などの待遇は良く、畳一枚に2,3人ということも無いですし、新しく入って来た囚人から「命の蔓」という賄賂をもらい、牢名主を何年も続けていれば一財産築けるくらいです。新人がもし、「命の蔓」を持って来なかったら、もう先輩からボコボコにされるわけです。命の蔓を渡しても、新入りはボコボコに殴られるのですが、お金の多寡で、殴られる量が減ったりはします。
江戸時代の牢獄は、基本的に囚人を生かしておくという考えは無く、別に無理に殺しはしませんが、死んでも構わないという考えなので、囚人同士のリンチや牢内の劣悪な環境で獄死する人も多いわけです。
そんな中、そう若くも無く、エリートだった高野長英がよく生き残ったものだと思いますが、高野長英
これは、偉大な蘭学者高野長英の人徳というのもありますが、長英は蘭学者でもあり医者でもあったので、牢内の囚人を治療してやったり、疫病の予防を教えてやったりいろいろと役に立つ存在でもあったわけです。
だからといって、高野長英
元来、高野長英
水野忠邦の失脚というニュースに長英は、ひょっとしたら釈放されるのではないかという希望も持ちますが、水野はこのあと一時的に老中主席に返り咲きを果たしてしまいます。
これに高野長英
高野長英は、何と脱獄するために、自分を慕っている牢外の小者に命じて、放火をさせるわけです。
牢屋が火事になった場合、切り放しという温情的措置が取られます。牢内の囚人を一時的に娑婆に切り放し、一定の期間に戻ってくれば罪一等を免じるという江戸時代の制度です。これを利用して、高野長英
江戸時代の刑罰はそれはもう秋霜烈日で、聞いただけでも氷つくほど残忍なものも多いのですが、火付けは最も重く、市中引き回しは当たり前、火付けの張本人は火刑、つまりは焼き殺されるわけです。火付けを命じた長英も同罪です。しかも、長英は火付けに加えて切り放しで、戻らなかった罪もありますので、それだけでも死刑で、もうどうしようもないほどに、天下の大罪人になってしまうわけです。
その後の、高野長英の逃避行ですが、実にいろいろな人が長英を助けてくれます。これは多少傲慢だったとはいえ、やはり偉大な蘭学者ですし、先見の明もある高野長英
高野長英
長英捜査の為に、北海道への船が止められ、商人たちが難儀したなどという、それはもう大事件に発展しているわけです。そんな中、高野長英
高野長英
何と、長英が脱獄した直後、あの怨敵・妖怪鳥居耀蔵は失脚しているわけです。鳥居の失脚の経緯もなかなか凄まじく、鳥居は自分の上司である水野忠邦を裏切って反対勢力について生き残っているほどの節操も何も無い、権力の化け物なわけです。鳥居にとって不幸だったのは、この水野が一時的に返り咲き、当然水野は鳥居を失脚させるという何ともおぞましい話なわけです。
このときの、長英の悔恨は可哀相でした。高野長英
かといって、元々何ら悪いこともしていないのに、獄死前提の牢屋に投獄された高野長英
このあと、高野長英
宇和島藩に匿われて一安心と思っていたのですが、そこは天下の大罪人、幕府の隠密がかぎつけ、宇和島を追われることになるわけです。
そして、お金にも困窮した高野長英
なんと、医者を開業して家族を養うため、高野長英は自ら薬品で、自分の顔を焼くわけです。
これは衝撃的でした。そこまでしないと生きていけないというのは、人生とは凄まじいものですが、高野長英の場合、火付けの因果応報がここに来ているような気がしてゾッとするわけです。
そして、顔を変えた高野長英
それは、高野長英が翻訳した「三兵答古知機(さんぺいたくちいき)」などの兵書の翻訳があまりに優れていることから蘭学者の間で、これを訳したのは誰かという噂が立つことから始まります。
当時、蘭学はほとんど医学に使われており、ほとんどの蘭学者は兵書などに興味もありませんし、翻訳する能力も無かったわけです。そういう意味では高野長英
当時、高野長英
そして、当時の警察機関が高野長英
長英の最期は、自決したとも十手で殴り殺されたとも言われておりますが、遺体は塩漬けにされ、首を刎ねられたそうです。金さんは、一応本来火刑にするところを罪一等を減じて首を刎ねるだけにしたそうですが、死体をどうこうするという感覚は現代ではよく分かりません。
吉村昭さんの小説「長英逃亡」ですが、私が持っている全集では600ページ以上と読み応えがあり、史実も実に詳しく調べられており、当時の史料なども引用され勉強にはなります。
ただ、司馬さんのような諧謔的な要素は少ないですし、地名も細かく、登場人物も多過ぎて多少退屈に感じる場面もありました。ただ、高野長英
高野長英
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